2022.06.03 (更新日:2022.12.07)
【マクリーン事件】滞在1年延長するつもりが、結果的に8年延長できた
(最大判昭53.10.4)
国内での外国人の政治活動について争われた事件で、憲法の外国人人権保障について訴えたマクリーン氏が、結果的に最高裁敗訴の判決を受けたという内容です。
行政書士試験界隈でも特に有名なお話です。
1.登場人物
原告:マクリーン氏
- 1959年
- ハワイ大卒業。推定22歳。
- 1966年
- 韓国で英語教育。推定29歳。
- 1969年
- 5/10 日本に初来日。推定32歳。
被告:法務大臣
2.事件詳細
- 1970年
- 5/1 在留期間更新。
8/10 に5/10〜9/7までの出国準備期間120日間の許可を受ける。
もう一度1年間の申請をするが不許可処分を受ける。
不許可の理由
語学学校に就職する目的で日本に入国したのに、届出も無く転職したから。
実は、、、
語学学校をわずか17日で退職し、財団法人の英語教師として転職
ベ平連にて政治活動を行なった。
ベ平連とは:ベトナムに平和を!市民連合
マクリーン氏が行なったとされる政治活動の一例
- ・アメリカのベトナム戦争介入反対
- 日米安保条約によるアメリカ極東政策への加担反対
- 在日外国人の政治活動を抑圧する出入国管理法案反対など
- 定例集会に参加
- ビラを配布
- 戦争反対で抗議
1969年5月の来日から1970年9月の最初の訴訟至るまでの1年4か月の間に、なんと計13回にわたる政治活動を行っていた。
マクリーン氏:転職はしたが、入管当局に許可を求めたり、通知をしなければならないとする説明は聞いてない。
マクリーン氏:憲法22条に違反している。外国人には憲法21条も認めないというのか。法務大臣の裁量権を逸脱している。
これによりマクリーン氏は、
- 同年1970年9月7日
- 不許可処分の取り消しを求める行政訴訟を起こす。(これが最初の訴訟)
でも「外国人には政治活動の自由が人権の保障とされている」んです。
しかし、「日本の政治的意思決定や、その実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位に鑑み、これを認めることが相当と解されるものは保障されない」とされています。
それはともかくマクリーン氏は戦いました。
- 1973年
- 東京地方裁判所。推定36歳。なんとマクリーン氏が勝訴し、国側が控訴する。
- 1975年
- 東京高等裁判所 推定38歳。マクリーン氏は敗訴し、マクリーン側が上告。
- 1978年
- 最高裁判所。推定41歳。マクリーン氏、上告棄却で完全敗訴。
反対意見なしで全会一致
マクリーン氏は、最初の訴訟から結果的に8年間日本に滞在してアメリカに帰った。
なんだ、結局日本に長く滞在してるじゃん。損して徳をとるみたいな、うまいことやってんじゃんって思いました。
ちなみにワタクシの今の年齢で帰ったわけであります。
3.ベトナム戦争
1955年〜1976年の21年続いた南北ベトナムの統治をめぐる戦争。
- 南ベトナムをアメリカが軍事支援。資本主義の挑戦。
- 北ベトナムをソ連が主導。社会主義の応戦。
米ソ代理戦争と言われた。
- 1961年
- 南北抗争が本格化
- 1965年
- アメリカが北ベトナム政府を爆撃。これにより戦争はすぐ終わると思われたが、戦争は長期化し、アメリカによる枯葉剤などの化学兵器の使用もあった
- 1973年
- ベトナム和平協定が調印 三ヶ月後にアメリカ軍が撤退
- 1976年
- 南ベトナム政府が崩壊し、南北ベトナムの統一が実現した
これにより、「ベトナム社会主義国家の建国」が実現。
今のウクライナが当時のベトナムと少し似てますよね
ロシアという巨大な社会主義国家がウクライナに侵攻し、アメリカを始めとしたEUなどがロシアに経済制裁を課し、ウクライナに軍事的支援をする構図。
4.まとめと例題
論点
- 憲法19条
- 憲法21条
- 憲法22条1
- 外国人の入国の自由
- 法務大臣の裁量権
point
外国人の人権保障の有無で押さえておきたいポイントは、
■出入国関係
- 出国の自由 ○
- 入国の自由 ✖️
- 再入国の自由 ✖️
■他
- 指紋押捺を強制されない自由 ○
- 選挙権 ✖️
- 政治活動の自由 ○
の4点です。
特に重要なのが、「政治活動の自由」ですね。
政治活動の自由は保障されてますが、「日本の政治的意思決定や、その実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位に鑑み、これを認めることが相当と解されるものは保障されない」とされています。
つまりマクリーン事件は大きな影響があるから保障されないよということになると思います。
- まるかばつか
外国人に政治活動の自由は、一切保障されない。
-
ばつ
保障される。
YOUTUBE