2022.11.29 (更新日:2022.12.07)
【東大ポポロ事件】学問の自由のラインを超えちゃった話
(最大判昭53.5.22)
東大の劇団員が、私服警官をボコって起訴されて負ける事件です。
学問の自由における有名な判例です。
1.登場人物
原告:警察
被告:ポポロ劇団
2.事件詳細
- 1945年
- 終戦。
GHQが、人権指令により特別高等警察を廃止。
特別高等警察とは、無政府主義者、共産主義者、社会主義者などを査察内偵し取り締まることを目的としていた。
学生らは特別高等警察、いわゆる特高の復活を強く反対していて、敵対状態だった。
- 1952年2月20日
- ポポロ劇団が、松川事件をテーマに演劇を上演。一般人もチケットさえ買えば鑑賞できる公開された状況だった。
新聞でその情報を知った警官ら3名は、身バレした後の演劇中断を危惧し、私服で演劇を見に行くことにした。
学生の一人が、私服警官の一人を発見し、捕えようとした際、警官が逃走したことを理由に「私服がいる!」と叫んだ。
警官は約20名の学生らに囲まれ、そのうちの一人が腕を強引に掴み、舞台まで引きずりだした。
舞台上では、観客ら300人が見ている中、学生らは警官に対し、警察手帳の差出を要求したが、これを警官が拒んだ為、胸倉を掴んだ際、ボタンが弾け飛んだ。
仕方なく自らが警官であることを認め、警察手帳を差し出した所、現場にいた全員によって確認された。
学生らが取り上げた警察手帳には、長期的に偵察していた情報が書かれていた。
他の警官も捕まり、同様に舞台上まで引きずりだされた。
その後、第二幕が始まるからという理由で、警官らは別の場所に連れていかれ、警察手帳を奪われ、学内侵入についての謝罪と、二度と立ち入らないとする始末書を要求した。
騒動を知った東京大学厚生部長が駆け付けたが、現場を丸く収める為に、始末書だけ書かせた。
学生たちは、後日警察手帳を返還するということで、話を済ませた。
その後、警察が学生らを、「暴力行為等処罰ニ関スル法律」違反として起訴。
暴力行為の内容は、逃げようとしたところを捕まえる、ボタンを引きちぎるなどの暴行を加えたというもの。
しかし、当時の大学では、警官らが頻繁に構内に立ち入ることなどの事実があり、学問の自由の侵害は問題視されていた。
なお国会では、矢内原忠雄総長が大学自治擁護、警察側の不当性を主張。
- 1954年
- 一審 東京地方裁判所
大学の自治に対する侵害行為を防衛するための正当防衛として無罪判決で学生側の勝訴。
- 1956年
- 二審 東京高等裁判所
一審を支持し、無罪判決で学生側の勝訴。検察が上告。
- 1963年
- 最高裁大法廷は、原審を破棄、東京地方裁判所に差戻した。
理由は、公開の集会で、警察が入るのは侵犯にならない。
- 1965年
- 東京地裁で有罪。(懲役、執行猶予)
被告らは不満で、控訴、上告する。
- 1973年
- 最高裁上告棄却で、学生らの有罪が確定。
事件発生から、実に21年に及ぶ裁判は6つの判決を生んだ。
3.松川事件とは
一言でいうと、列車転覆テロです。
- 1949年8月17日
- 事件発生。東北本線松川駅付近で列車が転覆し、乗務員3名が死亡。人為的な線路破壊が原因。
捜査当局は、国鉄労組員と東芝労組員の共同謀議に基づく犯行と断定。
最初の逮捕者含め、計20名を起訴。大半が共産党員だった。
人員整理、所謂リストラに対する逆恨みである。
- 1950年
- 一審 福島地方裁判所
死刑5人、無期懲役5人含め全員有罪とした。
- 1953年
- 二審 仙台高等裁判所
3人を無罪。としたが、他は変わらない内容だった。
しかし、上告審に至って、検察側が押収していた被告らのアリバイを証明する「諏訪メモ」の存在が明るみに出て、検察の主張する共同謀議説が崩れる。
- 1963年
- 最高裁
全員の無罪が確定。真犯人不明のまま時効が成立。
4.まとめと例題
どういう問われ方をするか
- 憲法23条の学問の自由と自治が問われる
- 例題
警察官の立ち入りは、大学の学問の自由と自治を犯すか
-
犯すとはいえない
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